私の信仰の物語

受け継がれていくもの

投稿者
kawana
投稿日
2025-05-08 00:00
閲覧数
290

私のルーツである家族のことを書こうと思います。故郷は九州・宮崎県で、現在は86歳の母と、私より二つ年上の姉が暮らしています。父は8年前に天に召されました。家族全員がクリスチャンで、姉の家庭も今ではクリスチャンホームとなりました。

父は自宅で家族に見守られながら最期を迎えました。私の娘たちもその場にいました。父がゆっくりと、そして時に苦しそうに大きく息をしながら旅立っていく姿は、孫たちには衝撃であったと思います。しかし同時に、父の「生き切る」姿を目の前で見たことは、彼女たちにとって「生きる」とは何か、「生かされている」とは何かを考えるきっかけとなったように思います。

その召天の瞬間、部屋には悲しみを包みこむほどの賛美が満ちました。父の好きだった讃美歌「シャロンの花」を、孫

たちを含めた家族全

員で歌い見送ったのです。その時、私は悲しみが絶望で終わらず、喜びと希望へと変えられることを深く知らされました。父は恵みと喜びをもって天へ凱旋していったのだと思います。(後に長女が「逢いたい」という題で祖の肖像画を描きました。慕う人を失った心の揺れが表現された作品です。)

28年前、夫と出会い宮崎を離れ、インドネシア・バリ島へ渡りました。発展途上国での長女の出産、帰国後も決して平坦ではなかった歩み。その小さな舟のような人生を振り返ると、気付けばいつも神様に背負われ、慰められて歩んできたのだと感じます。

「わたしの大切な子よ。わたしはあなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。」(M.F.パワーズ『FOOTPRINTS』より)

伊東での暮らしは途中の転勤も含め、気がつけば15年ほどになりました。我が家もクリスチャンホームとなり、母から始まった救いの恵みが娘たちへ、そして次の世代へと受け継がれていくことに驚きと喜びを覚えています。「ここに在る」と仰る神様の存在は、私たち家族にとって灯台のような存在です。荒波の中で揺れ、暗闇に迷いそうになるたび、その光に励まされ歩んできました。

これからは山口牧師という灯台のもと、心憩える港に戻る思いで生活できることに感謝しつつ、教会員の皆様と共に、信仰の灯火を分かち合い、照らし合いながら歩んでいきたいと願っております。

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